お疲れ様

先日、親戚が1人この世を去りました

僕が物心ついてから名前と顔がちゃんと一致する親戚を失うのは初のことでかなりショックを受けました

 

さて19日と20日のお通夜とお葬式に参列してきました

 

その亡くなったおじちゃんのお顔は綺麗にお化粧されてはいたのですが、かなり頬がこけていて痩せ細っていたのが見てとれました

長い間病気と戦っていたそうです

 

人はいつかは死ぬもの

 

そんなことはわかっています

でも悲しいものは悲しいのです

 

火葬場で遺体を焼きその後骨を拾い、骨壺に入れる

 

骨だけになってしまったけれど確かに

 

確かに生きた証がそこにありました

 

そして何より僕たち残される者の心の中に生き続けます

 

おじちゃんと最後のお別れのとき関西人らしく陽気な一家なうちの親戚がみな涙していました。当然ながら僕も

 

そして思いました

 

僕も最後のときに少しでも泣いて惜しんでもらえるように生きようと

 

また、今回おじちゃんが亡くなったことによって親戚が一堂に会しました

 

おじちゃんが巡り合わせくれたと感じました

 

人の死というものは別れの場でもあるが、また疎遠になっていた親戚とまた出会うことのできる場でもある

 

だから嫌なことばかりじゃない

母の受け売りです

 

人が人である以上別れはいつかは来ます

 

だからこそ僕の知り合いには長生きしてもらいたいものです

 

僕は無責任だからね

送るより送られるほうがいいのさ

 

逝く者よりも残される者の方がつらいから

 

僕は100くらいで死ぬからさ

みんなは105とか110まで生きて僕を見送ってね

 

いやそのときにはもうボケてるか

 

 

おじちゃん?おじちゃんらしくゆっくりあっちに行くんやで?

何十年後にはめっさええお土産話作って会いに行くからさ

 

お疲れ様

今までありがとう少しの間お別れや